平等な子育ての難しさとママの葛藤

我が家には、4人の子どもがいます。
- 学級委員長のようなしっかり者、長女
- 身体に障害があり、現在入院中の長男
- 軽度の発達障害がある、次男
- 勝気でおしゃべり上手な、次女
どの子も、愛しいかけがえのない存在。
もちろん、親として平等に接しているつもりです。
だけど、実際は…正直、できていません。
入院中の長男と会える限られた時間
入院中の長男に会えるのは、限られた時間だけ。
長男は入院しているため、面会の時にしか会えません。
感染症の流行期には、窓越し面会すらできないこともあります。
どんなに「会いたい」と思っても、それが叶わない現実
に、もどかしさを感じます
家の中でいちばん手がかかる、発達障害の次男。
次男は、目が離せません。
多動で、突然走り出すこともあるし、こちらの指示がうまく通らないこともあります。
買い物に行けば、必ず手を繋いでいないと危険なので、私の片手は常に次男に取られます。
すると、自然と次女の手はお姉ちゃんに任せっぱなしに…。
自立し始めた長女、でも…
長女は自分の世界を持ち始めていて、
友達との関わりやスマホ、趣味も出てきて、少しずつ親離れの時期。
「かまいすぎるとうっとうしい」と感じることもあるようですが、
それでも、きちんと目を見て話を聞いてあげられているかと問われると、
やっぱり心のどこかで後ろめたさを感じます。
宿題の丸つけも途中になってしまったり、
学校での出来事をゆっくり聞いてあげる時間も十分とは言えず…。
2歳の甘えたい時期の次女に、あまりかまえない…
おしゃべりが大好きな次女。
「ママ、手をつなごう」と言ってきても、私は次男の手を離せない。
「次女ちゃんごめんね、カートを押してるから…」と、何度言ったか分かりません。
保育園の帰り道。
眠くて歩けない次男が「だっこー!」と泣き出し地面に転がれば、
次女も「私も抱っこ!」と当然のように言う。
荷物を持ち、次男と次女を抱え、車まで歩く。
腕がちぎれそうでも、筋肉痛で動けなくなっても、腕が片方ちぎれても
「平等に」と思う気持ちは、私の背中を押してくれます。
「理解してね」では済まされない
たしかに、理由はある。
だけど、「あなたはわかってね」と子どもに背負わせるのは違う。
長女も、次男に障害があることは理解してる。
でも、やっぱり不満はあるみたい。
「どうして私だけ我慢しなきゃいけないの?」
そんな小さな心の叫びが、時々ポツリと漏れるのを聞くたび、胸が痛む。
それでも、できることは精一杯やりたい
パートから帰ってクタクタでも、
子どもたちには関係ない。
「疲れてる」は、親の都合。
だからこそ、できる限りは頑張りたい。
最近は、休日にパパに年子チームを任せて、
長女とふたりきりで買い物へ。
ドラッグストアでプチプラコスメを選んだり、
SNSで話題のグミを一緒に探したり。
そんなささいな時間が、
溜まった我慢のリセットボタン
になってくれたらいいな、と思っています。
3人に分裂できたらいいのに
毎日思うんです。

「なんで私1人なんだろう。」
「どうして3人に分裂できないんだろう。」
って
完璧にはできないって、分かってる。
でも、このままでいいのかと、
自問自答する日々です。
さいごに
「平等」って、何だろう?
同じ時間を割くこと?
同じように接すること?
それとも、その子が必要としている分だけ注ぐこと?
まだ私なりの答えは出ていません。
だけど、今日もまた、
子どもたちが眠った後、
1人でこっそり自分を励ましながら、
明日の「がんばる」を準備しています。