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解離性健忘症。そして現在 

もえこ

〜記憶のない私がいた日々〜

今から約10年前のこと。 

私は19歳で妊娠し、結婚をしました。そして2年ほどで離婚。 

5年前に再婚をしました。 

この話、実はあまり周りに話していません。 

というより、私自身があまり覚えていないのです。 

自分のことなのに、まるで誰かの人生のような感覚。 

そう、これは

**「解離性健忘症」**

と診断された、私の過去の一部の話です。 

若すぎた結婚と、急に奪われた自由 

同級生が自由に遊んでいた年齢。 

私は「お母さん」になる準備をしていました。 

どんどん大きくなるお腹を見て、 

「私、本当にお母さんになるんだな」と、 

少しずつ実感していったのを覚えています。 

出産は、今思えば“超安産”。 

分娩台にあがってから約2時間で、 

2511gの元気な女の子が生まれてきてくれました。 

だけど、そこからが本当の始まりでした 

想像を絶する育児と、孤独

長女はとにかく泣く子でした。 

昼も夜も、ずっと泣いている。 

オムツを替えても、ミルクをあげてもダメ。 

ずっと抱っこしっぱなし。 

私の腕は常に疲れきっていて、体も心も限界寸前。 

元夫の仕事の関係で、見知らぬ土地に住んでいた私は、 

友達も、頼れる人もいない。 

小児科に相談すると 

「お母さんみんな頑張ってますから、頑張りましょう」と言われた。 

その一言が、私にはこう聞こえました。 

**「あなたは頑張れていない」**と。 

母に相談すると 

「だから言ったでしょ?おままごとじゃないって」 

…わかってる。 

こんなの、おままごとなんかじゃない。 

だったら、今すぐにでもやめたかった。

私が壊れた日  

元夫は仕事と嘘をつき、帰宅は遅く、 

明らかな不倫のような状態。 

だってどんなに遅く帰ってきても残業代なんてついてなかったから。 

朝のモーニングコールが、 

職場の同期の女性からかかってくる日々。 

その人があの人のご飯を作ってくれたら。 

シャツにアイロンかけてくれたら。 

私はそう思っていました。 

でも私は何も言えませんでした。 

働いていないから、収入がないから。 

保育園にはとことん落ち、 

文句を言える立場じゃないと、思い込んでいた。 

家の中は荒れ、 

ご飯を作っても「食べてきた」と言われ、 

ラップをかけて冷蔵庫に入れた料理がどんどん溜まっていく。 

私は昼に、それを食べる日々。 

ふと思ったんです。 

私って、何のために生きてるんだろうって。 

そして“記憶”が途切れた

ある日、ついに限界が来ました。 

元夫に背負い投げをされ、殴られ、蹴られました。 

私は血だらけになり、警察に電話。 

そして――記憶が、ありません。 

目が覚めたのは病院のベッドの上。 

なぜかタバコを吸わなかった彼が 

病院の外でタバコを吸っていた姿だけを、妙に覚えています。 

その後、実家に戻り、 

私は精神病院に入院しました。 

詳細はまた、次回お話します。 

けれどあのとき、檻のような部屋に入れられた記憶だけは、 

なぜか鮮明に残っている。 

今、ここにいる私 

今、私はあの頃の自分とはまるで違います。 

でも、あの記憶の“ない”時期も、確かに私の人生の一部です。 

私はいま、ここで、こうしてこの話を書いている。 

それが、どれほど奇跡のようなことかと思います。 

この話を昔話のように話せる時が来たんだなと、今幸せなんだなと思います。 

続きは、また明日。

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もえちゃん
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毎日家事育児にに奮闘するママ
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