思い出

解離性健忘 そして現在② 

もえこ

昨日の続きを書かせてください。 

殴られたり蹴られたりしたあの日のあと、私は病院に運ばれたそうです。 

…正直、そのあたりの記憶はほとんどありません。 

気がつけば、精神病院に入院していた。

でも、その前後のことは、ぽっかりと記憶が抜け落ちているのです。 

なので、ここからは母から聞いた話になります。

母から聞いたはなし

病院の先生にはこう言われたそうです。 

「ショックから逃げるために、何ヵ月も前の“楽しかった記憶”に戻っている状態です。一時的なものかもしれませんが、記憶が混乱しています」  

その後、子どもと一緒に実家へ戻りました。 

リビングのカレンダーが妙に気になって仕方がなかったり、子どもの体重の増加に驚いたり。 

妹の姿を見て、「え?まだ学生じゃなかったっけ?なんで髪染めてるの?」と聞いてしまったり。 

極めつけは、娘を見て「この子、誰?」と口にしてしまったとき。 

母は「この子(私)はもう戻ってこないかもしれない…」と感じたそうです。 

でも、ある朝。 

目が覚めた私は子どもの名前を呼び、普通に接していた。 

「子どものことを覚えている…!」 

それだけで母はとても安心したそう。 

精神科への通院が続く中で、ある日。 

いつものように病院に行き、会計をしていたとき、突然私は走り出した。 

母は驚いてすぐに追いかけたけれど、角を曲がった先には大きな道路。 

「もうこの子は死ぬんだ」と母は思ったそうです。 

私はまた角を曲がって、さらに走った…そうです。 

この出来事を聞いたとき、私の中で何かがじわっと熱くなりました。 

あのときの私が何を思っていたのか――今でもわからない。 

自分の娘だったらと思うと背筋が凍った。 

こんな出来事を覚えていないという不思議な感覚になりながら。 

そこから近くの交番まで走り、 

母をみて、知らない人だと言ったそうです。 

そこから精神病院に警察の車で連れていかれ、医療保護入院をしました。 

そこからの記憶ははっきり覚えています。

精神病院での入院生活 

牢屋のような部屋に閉じ込められ、むき出しのトイレ、監視カメラ、窓もない、時計もない。 

もちろん、テレビやスマホもない。 

鉄の扉に頭を打ち付けて、出して!と叫んだ覚えもあります。 

痛みは覚えていません。 

翌日、先生と何人かの看護師さんが入ってきて 

「自分が病気だということを自覚するところから治療が始まります」と言われました。 

警察に連れてこられたので、

ここは警察の牢屋で私は逮捕されているとしばらく思い込んでいました。 

食べ物も飲み物も、毒が入っているのではないかと本気で思い何度か拒否をしました。 

しかし、担当になった看護師さんが

「頑張ったんだね!お疲れ様だったね!」

と言ってくれた時に 

この言葉が欲しかったんだ。と涙が溢れたことを覚えています。 

そこから、私は自分が病気なんだと理解する努力をするようになりました。 

牢屋のような部屋を出て、鍵のかかった部屋に移りました。 

窓がある、時計がある。 

それだけで安心できて部屋から出ることは出来なくても嬉しかった覚えがあります。 

9歳の女の子との出会い

入院していた9歳の女の子との出会いで私の気持ちが一気に変わりました。 

壮絶な家庭環境の中で自傷行為が止められず、施設で生活をしている子でした。 

今の長女とおなじ年齢。 

思い出すだけで涙が出ます。 

その当時9歳の女の子から 

「お願いだから離婚しないで」と言われました。 

でも、私の中では既に答えは1つでした。 

「娘ちゃんはもえちゃんのこと待ってるよ!離れないで! 」

と9歳の子に言われ、よりこの先待ち受ける現実に対して気合いが入りました。 

退院後の医師のことば

そして退院をし、次の診察の時に先生が 

「あなたのコップが(キャパ)また溢れそうになったときはね…」 

と言い、次に、 

鉛筆を投げて大笑いする先生。 

また拾って投げる、また大笑いする。 

そしたら、私もなんかおかしくなって笑いました。 

「人生、鉛筆が転がったくらいで楽しくするもしないも自分次第」 

そうやって自分のコップが溢れないようにコントロールする。 

今、あの頃のように溢れそうになることがないのは、幸せに暮らせているから。 

今の夫に出会い、長女や子供たちとの生活が幸せで本当にありがたい。 

言葉にして文章にすると、思い出すこともあり、また母からこの当時の話を聞くと自分の知らないまるで他人の話を聞いているような感覚になる。 

母や父、祖母祖父、兄弟には本当に辛い思いをさせました。 

私は記憶が抜けており、曖昧なままですがこれからの私の人生で返していきたいと思います。 

人間いつ、自分のコップの水が溢れ出て私と同じような状況になるか分からない。 

それくらい脆い。 

「頑張ってるね」「お疲れさま」と 

背中をさすってあげる存在になりたい。 

きっとそれだけで、その言葉だけで救われる。

おわりに 

長くなりました。 

記憶が抜けて曖昧な部分があり 

分かりにくい文章になっていますのでご了承ください💦 

子育ては1人ではできない。 

疲れた。もうダメだと思った時に、このブログをのぞいてみてください。 

頑張ってる!大丈夫! 

【おつかれさま】 

あの時の私と、今頑張ってる 

全てのママに届きますように。 

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もえちゃん
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毎日家事育児にに奮闘するママ
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